演劇の即興性を考える”実践発表と対話の会”「実践と対話」。
第一部は「実践」として俳優による即興演劇の発表を行い、
第二部の「対話」は、演劇人と即興についてざっくばらんにお話をするコーナーです。
ここでは、今までの「対話」のところを随時アップしていきます。
絹川(以下、絹) そろそろ第二部を始めさせていただきたいと思います。
第二部は、即興性に関して、演劇人の方とお話をするコーナーです。
本日のゲストは、多和田真太良さんです。
演出家、演劇研究者、ステージマネージャー、玉川大学芸術学部の准教授。
明治大学の文学部で演劇学を専攻されて、そのあと学習院の大学院の
身体表象文化学専攻博士課程修了。「戯れの会」という劇団の主宰もされています。
多和田(以下、多)いや〜、面白かったですね。
(最後の作品が)ピッタリ30分で終わりましたね。
(注・最後のシーンを始める前に、30分、と告知していた。)
絹 ありがとうございます〜。
多 絹川さんは、玉川大学でずっと非常勤の講師でいらしていただいています。
それこそ、シアタースポーツ(注・絹川が中心となり、2017年9月東京芸術劇場シアターイーストにて演劇系5大学混合のチームが対戦型の即興演劇を行った)を大きな公演にしていただいたりして。だから絹川さんが教えてくださる、学生がやっている即興はよく見ているんです。そういう意味では、プロの役者さんがやっている即興、プロの慣れている人たちがそれを組み立てるというのは、意外と映像だと外国のものになっちゃう。
(注・即興インプロ演劇は海外ではさかんである)
絹 そうですね。
多 日本のもので、こうやって間近で、それぞれのバックボーンがすごくある人たちが、重なって集まってきているのをじっくり観ることは、そうない。非常に今日は新鮮でした。面白かったと思います。
絹 ありがとうございます〜。
多 一番は、速度ですよね。思考している時間がほぼないように見えている。
そりゃ当然思考されているんですけど、そこの引き出しの部分だな、と思いましたね。
よく「引き出しの、ある、ない」という言い方をするけれど、引き出しってなにかな?と今日は考えました。
絹 役者の引き出しってなんでしょうか?
多 今日はいろいろ考えました。役者としての経験とか言ったりしますけど、それだけじゃないですよね?一番大事なのは、その人のバックボーンだけでなく、今ここでどれだけ相手との、相手を見ているか、相手の音を聞いているか、どこに焦点を当てているか、要するにイメージをどれだけすぐに共有できるか、かな。一番、そこの速度というか、同じものを今見ているところ。でも、わざと違うものを提示することもある(笑)
絹 わざとね(笑)
多 その丁々発止が観ていて気持ちいい。ただ、それだけやっていても破綻するというところもあって。今、ここで、同じイメージを持って、同じ方向を向いている。これが正に演劇の一番大事なところ。目に見えないものを皆で一緒に観ている。
これが一番のもとになっているんじゃないかなって思いましたね。
最後の(シーン)30分って、長いと僕は感じるんですけど。つまり即興劇において。実際、どうなんですか?やられた方は?そんなでもない?
絹 どうですか、やられた方はどうですか?(出演者の佐藤を見て)
佐藤拓之(出演者。以下、佐) 短い。
多 短い!だいたい、ベースとしては、一時間か、もっと?
佐 フォーマットによるんですけど。「トレイントレイン」に関しては、長くもできるので。
車両があって、それらを最後に出会わせたいな、と思うと。。。
(注:トレイントレインとは=本公演で行なったフォーマット。最初に出たお題から得た発想のシーンを次々と繰り出し、最後に今までの登場した人物、モノなどが一堂に終点のホームに降りていくような構造形式)
多 田舎の車両の2両くらいの時もあるし、山手線くらいの時もあると。
佐 あと10分くらいはやりたいな、と。
多 そうなんですね!その単位(注・役者がやろうとしている車両の長さ)がどれくらいなのかは、観ていてわからないから、新鮮でしたよね。20時25分ごろ(注・最後のあたりで、収拾がつくのかよくわからない時があったと思われる)みたいな不穏な時間もある気もするけど(笑)それも含めて、面白いなと思っている。こっち(観客)も、次どう来るかな?と思って観ているところもあるし。要するに、観客も同じ車両に乗っているんですよね。乗り合わせているなあという気は、すごくします。ざっくりいうとこんな感じです。
絹 いやあ、ありがとうございます。いい感想がもらえて、嬉しいです。
多 メモっていたんですけど、暗くてほとんど見えていなくて、書いたものを参考にしてしゃべってはいないです(笑)。
絹 まさしく、その、イメージを共有するっていうのは、すごく大変なことです。
つまり相談を全くしていないですから、どう考えても、皆色々やりたいこともあるし、色々なアイディアがある。でも、それをずれながらも、ひとつにしようとするっていうのかな。
でも、逆に言うと日本人は結構「共通にしなきゃいけない」みたいになっちゃうと、面白くない。だからそこは丁々発止するっていうか、わざとずらしたりとか、わざと違う玉投げて、追っていくのも、皆で面白がっている感じがあるかな。絶妙な感じが今日はあったかな〜。
多 答えは一つじゃないものに関して、すぐひとつを求めますよね。
たとえば、「海」というイメージするようお願いすると、今はどうしても画像検索して見つかる「海」で満足するんですよね。でもそこに温度だったりとか湿度だったりとか、そこに立っている自分の体調だったりとか、そういう要素も含めて自分がイメージしている、という。そういうことを、今日は相手に言わなくても伝わっているなあって思っていました。そこが多分引き出しなんだな、と思います。「海」って言葉の中で、ばあっとこれだけ持ってきて、それこそ身体の感じ方っていうのがざーっと波及していくのが面白かったな。
絹 なるほど〜。
絹 なにか、役者に質問してみたいことってありますか?
多 僕は、窪田君を良く知っているんだけど、、、
絹 戯れの会に何度か出演している。
多 「主演俳優」ですからね(笑)。
絹 たけやん(窪田)ちょっと来て〜。
窪田(舞台上に登場。以下、窪) でるの?
絹 出てきて〜。新しいパターン。
多 今回、即興劇に出るという窪田君が、僕にとって新鮮でした。
彼はやっぱり台詞劇の方がイメージ強いので、戯曲をどう解釈してっていうことには
よく具体的にこういう風に読みえるんじゃないかという話をしている側だと考えると、
けっこう意外な一面を見たなと思いましたね。
絹 ほんとですか。どんなとこが意外な一面でした?
多 思い切りね、最後のパーティ(のシーン)のところとかね。決死の覚悟で飛び込んだのに、誰もついてこない(笑)けっこう慎重に行くタイプだと思っていたのに、突撃した!という役者としてあまり見ないところとかね。結構脇を固めるタイプだと思っているので。
窪 ああ~。
絹 最初のシーンはたけやんが始めたんだよね。どうでしたか?今日は。
窪 今日は面白かったですね。まあ、今日三日目(注・四日間の公演であった)なんですが、
今日が一番身体を使っている、という感じがして、すごい動いたなっていう。
多 上下移動大きかったですね。客席から観ていてもこんなに動くとはっていう(笑)。
窪 なにか、こう、撹拌されたり(注・シーン中、役者数名がパンの材料になっていた)とか。
絹 パンのシーンね、あれ面白かったですね。
窪 新鮮な感じで。なにかずっと、例えば、体を動かすと、違うものが生まれてくるというか、そういう意味ですごく新鮮でした。止まらない感じ。
多 止まってしまうと説明になっちゃうんですかね。肉付けしていく前に、押されていくとそのうちどっかに行くから。そういう転がっていく感じがすごくありましたね。
絹 たぶん、身体で行くか、言葉で行くかで、すごい明暗を分けています。
多和田さんは戯曲から芝居を創っていくと思うんですけど、どうしても頭で考えてからやる、っていうのはみんな染みついています。即興であっても、こっち(舞台袖)で考えてから、アイディアを決めてから入る。そういうのもあるんですね。あとは、舞台上で考えて、やるっていう。でも本当は即興だから、「やりながら考える」。その状態が大事。
たぶん台本があったとしても、それは同じで、そのキャラクターはその場で感じているから、言葉が出てくる。すごく身体を伴ったものだと思います。
でも今、即興でさえ考えて出るっていうのがあると思うし、台本の場合は最たるもので、いかに頭で考えたり、言葉の、ロジックの所から、いかに抜け出て、身体化していくことが、すごく大事な事かなと思います。
多 この人たちはある程度やり方をよく体験しているのでわかりますけど、結局普通の人は、即興劇って稽古するってイメージが一番ないだろうし、即興ってそのまま出てきてやるって思っている人が多いと思います。即興に枠組みがあるんだという事、何を稽古しているか?っていうのが、今日観るとすごくよくわかる気がしますね。
絹 なるほど。
多 あれって出ていきなりはできないでしょ。大枠、こういう風にまとめていくんだねっていう、そこのところが皆さんの頭の中に入っていて、それをあまり見せないように、その場を楽しんでいくと組み立てられていく。実は戯曲とおんなじだと。
絹 はい。
多 そういう意味では、テキストっていうのがあるなしっていうのは、そんなに関係ないんじゃないかなっていう風に思います。だから、立ち上げ方一緒の方が、いいんじゃないかな。どっちも観ていて、すごく演劇性っていうものを感じるのは、そこにストーリーがあるから。でも、即興はここで今、立ち上がっているストーリーですね。数秒前まで全く存在しないわけだから。(台本芝居も)そう見えたらいいなというのはありますよね。
絹 台本の芝居が、でしょ?私本当に、それが観たいんですよ。台本あっても、その場でうまれているよ!っていうもの。ロミオとジュリエット、ここで恋に落ちた!今!すごく観たいんだけれど。。。
多 今日もね、モンタギューって単語が出てきた瞬間に、テキストのあるモノで知っている名前が出てきた瞬間に、お客さんとも分かち合う。「あ!知っているのが出てきた!」って感じがあって、さらにそれがどう発展していくんだろう、という。つまり、同じテキストで、演出が違うというのと同じ。
絹 なるほど。
多 観ている側としては、そういう感覚ですよ。知ってるものがどう転がっていくんだろう、と楽しめる。すこし情報が入ってくるというのは、面白いかな、と思いました。例えば、「裁判」という話が、ずーっと忘れていたころに復活してくる(笑)すると、「あ!知ってる」と。どんどんわからない方向に行ってしまう一方だと、どこか集中力が切れますよね。
絹 そう。
多 観ているお客さんもそうですけどね。それが、30分くらいたつと時計を見るじゃないですか、どこで落ちていくんだろうと。考えながら、感じながら観ているというのが、すごくお芝居を楽しめる原動力ではないかな?という風に思います。
絹 うーん。(納得して)うなづくだけになっちゃう。
何か聞きたいことありますか?役者さんに。即興やっているたけやん(窪田)と違うところは。
多 何か、戸惑うところってありますか?いきなりポン、と入れるもの?
窪 いや、なかなか難しいですね。実際。それこそ、さっき、「考えてから入る」って話が出たじゃないですか。やっぱり考えてはいるんですよ、でも、それが、染みついているというか。僕も俳優、十何年もやっていて、ずっと台本のある芝居をやっていたので、だいたい、シーンの目的があって、キャラクターの目的があって、与えられた状況があって、この人をどうしていくのかっていうのを考えて。そういうのを持って、台詞を一応忘れて入って行く。とは思ってはいるんですけど、常に、「何かがある」って状態で入って行く。
それが、「なし」で入って行くって。やっぱりハードル高いなっていうのが最初のとまどい。
だから、実践と対話vol.1にも出たんですけど、それの初回(一日目)はあっという間に過ぎ去っていくという感じで。インプロをお客さんの前で初めてやったので、ちょっと一瞬ひるんだ瞬間に、シーンがどんどん先に進んでいく。ということが起きて、衝撃的でしたね。だからもう、ついていけない、と正直思いましたね。
絹 最初はそうだったんですね
多 これはもう職業病で、ちょっと面白いなと思ったのは、、真ん中でシーンをやっているじゃないですか。出ていない人たちの表情が面白い。何考えているのかな、感じているのかな、っていうのは(窪田が)一番よくわかる(笑)。考えがすごくこっちに飛んでくる。
さらに面白いのは、佐藤さんとか今井さんとか、何考えているか全然分からないんですね、観ていて。それはすごいなと思いました。ひょいと入って行って、そこの勇気って、勇気っていうのは変ですけど、それがだからひとつのスタイルというか、だから役割が、変な話ですけど、この何名か。。。
絹 出演者の皆さん、せっかくですから、舞台上にきていただけますか〜。
多和田さんを囲むように座ってみてくださ〜い。
(想定外だが、出演者全員舞台上へ。)
多 (座った出演者を見回して)これだけいらっしゃって、観ていると、
ちょっと分かってくることがあります。それは、全員がお芝居のパーツとして出てきて、
どれがどれでもいい、という形になるんだけど、俳優として観ていくとそれぞれが、
このお芝居、一つの30分ならば30分の中の役割っていうか、役柄っていうのが
あるんじゃないかなというふうに思って観ていました。
今井さんが出てくると柔らかい笑いを起こしてくれるなって。こっちも期待しているところがあって。今井さんの含み笑いが僕はすごく好きです。計算しているんじゃないかな?って。
絹 計算しているんですか?今井さん。
今井敦(出演者。以下、今) してます。
絹 意図的じゃない時と意図的な時があるんですか?
今 意図的じゃない時は自分が本当におかしい時。意図的な時は、、、
多 そうですよね、次のきっかけになっているときがありますよね。それもあるなと思った。翻弄されている感じがすごい(笑)飛んできたものをそのまま素直に返すところがすごいなって思うし。無茶振り、といえば全部なんですけど、振られたものの返し方がすごい。役割が違うっていうのが、30分あると分かってくる気がします。佐藤さんは、影の支配者って感じがするし。「次行っちゃえ」みたいな。
絹 拓ちゃん(佐藤)はものすごく速いんです。
佐 でも今日は皆早かったから、出なくてもいいやって。
多 俯瞰して、実はこうとか。そういうのが見えていて、戯曲でいえば、それぞれの人物配置というか。役割として、アンサンブルはそれぞれがその音を出しているわけじゃないですか。それぞれが別の役割を実は持っている。やっぱり、即興と言ってもそれは見えてくるものですね。もちろん人やテーマが変われば、違うんでしょうけど。それがある時はバランス良く、ある時はバランス悪く配置されていくのがやっぱり醍醐味だなあと思って。
絹 結果的に、バランスとれたりとれなかったりするんですけど、多分そうやろうと思ってやっているんじゃなくて、だれかがこうきたから、じゃあここをやろう、ここをやろう、じゃあこういう感じだったら、自分はこっちの役割をやろうみたいな感じです。いわゆる後付けというか、環境がそうだから、そこにはまっていくみたいな。結果的にそうなったみたいな。
でも、お客様から見ると、それはまるで意図的にやったかのように見えるけれども、たぶんもっと、即物的なところで、パンパンパンとパズルを合わせていく感じなんじゃないかな?って思ったりするんですよねえ。
多 多分一番具現化されているのは、例えば、戯曲の芝居の稽古をしているときに、物事の考え方っていうのを身体でそれぞれ習得していっていることを図式化している。例えば、途中のイスがどんどん繋げられるところ。あれは、本当にモノの考え方というか、思考をすごく表すなと思ったんですよね。皆が急にサポートにまわる。どう展開していくのか分からないけれど、止まらないように、モノを前に回そうという意志はきちんと統一されている。温度差は当然あるから面白いんですけれど。
パッと集まってきて、どこに持っていくのか分からないけれど、なんでこういう動きになったんだろうか、というのを、例えばもうちょっと言語化する。文字化するっていうトレーニング、あまり形にしすぎると面白くないんですけど、そういうのがちょっと見えた。
それは当然戯曲を立ち上げるような芝居でも、結局同じことですよね?舞台上にいて、自分だけがイスを持ってきて座っている分じゃだめだよ。何でそこに座っているの?一人だけ座っているのおかしくない?というのが、次へ次へと繋がっていく。こういうことをやっていくことで身についていく思考が重要だなあって思いました。
絹 多分、皆さん(役者)全員が、台本芝居をやったこともあるし、即興(経験)も、まあそれぞれ長さは違うと思いますけど、役者さん、それぞれ、どう違うのか、台本演劇と即興演劇、自分にとってはどうなのか?をちょっと話が聞けるといいかな?
佐 もちろん、ちがいますよね。共通の部分もあるけれど。そこは話すと長くなりそうなので。さっきおっしゃっていた、引き出し。引き出しというよりは、ここにあるものを使う、すでにあるものを使うので、引き出しではないかな?それを足すのは引き出しかもしれないんですけど。すでにそこにあるから使うだけ。
多 しまってあるってイメージなんですよねぇ。引き出しって言葉を使うとね。どうしてもそういう言い方をするじゃないですか、昔からそうなんだけど。そのイメージを払拭したほうが、日本の演劇は変わるんじゃないかな。
絹 ほんとそう。
佐 添えていく。
多 むこうから寄ってくることもある、引き出しって開けなければ、絶対中のモノは見えないわけで、その辺が貯めておけないですよね。貯まった気がしているだけで。
佐 貯めといたところで腐っちゃう。
多 生ものですからね。十年も貯めていたら、そんなのはもう、跡形もないですよね。
絹 うんうん。まゆみちゃん(山本)はどうですか?
山本真由美(出演者。以下、山) 違うところもあるし、同じところもあるし。質感が違う気もするし、脳みそのほぐし方っていうか、一回ぶっ壊すところもあるっていうか、やわらかくなりながら、さっきケーキ作っていたけど、逆に戻すっていうか、水に戻すって感覚ですよね。言語化がうまくできないです。
多 流れているって言葉がはまる気がしますね、固まっているものではなくて、そこに立っているものではない。仲間に流されるようなところは見えますよね。
佐 考えると戯曲も一緒。流れている方が素敵な。
やっぱりちょっと言語化は難しいですね。感覚。
絹 言語化できないところを何とか言語化しようとしているところがいいなあ。
そんな綺麗に言語化できなくてもいいと思ったり。
多 言ってるけど、若干違ったりしているかもしれないですね。
想定している戯曲も違っているかもしれない。
絹 なるほどね。今井さんどうですか?
今 台本やるときは、即興みたいでありたいな、とは昔から思っていたけど、そのためにはものすごく練習しなきゃいけないから。台詞もきちッと覚えて、そこから自分が自由になる、その稽古をする、同じでありたいとは思う、でも、やっぱり、台本やるときには時間が足りない。
絹 稽古時間がね。
今 僕にとってはね。だから、覚えてきちんとやるほうをとる。そのうち、公演期間が長ければ、3ヶ月くらいやっていると、その中で、いいアドリブと言われるものがスススと挟み込めるようになってくる。通し稽古なんて短いでしょ、三日くらいで。だから、本番で。本番が長い公演だったら、いくらでも。
多 日本の場合、本番が短い公演ありますよね、土日だけ、みたいな。そこでその役を自由に生きられるかっていうと、お客さんと接している時間は本当に短いわけですし。
今 プロデュースの大きな長い舞台をやると、100回200回やれるとすると、50回目くらいから、こういうのあるよね、こういう人物じゃなくてもいいよね、というのはよくやっていたけれど。ある時若い人に、「今井さん、僕あのシーンとても好きだったんだけど、今井さんいつも後ろで違う事やっている」って言われて、、ああもうそういうことやっちゃいけない歳なのかなって。今井さん先輩だし、言えなかったって。それ以降は、自分のかかわりの所だけで、自由でありたい、と。人が関わるときにあんまりやっちゃうとね。
絹 びっくりしちゃうもんね。
じゃあ、真紀ちゃん(鈴)。
鈴木真紀史(出演者、以下、鈴)そうですね。即興っていうと、自分の言葉で他人が書いた台詞じゃない。だから、その場で「出た」もの。だから、、(言語化が)難しいですね、これ。
ただ、「状態」が同じような気がしている。私は特に即興をずっとはやっていないんですが、ずっとやっている今井さんと佐藤さんは座って(舞台袖に)待ってられます。
私は、座ってられないんです。台本芝居も、楽屋で座っていたりするけど、気分的には、こういう感じがすごくしている。舞台袖で、平静を装っていても、同じ気がする。違いって、台本があるとか、人の考えであるとか、そのくらい?
絹 なるほど。
たけやん(窪田)、、、
窪 (台本芝居も即興芝居も)どっかで一緒になりそうな気がしていて。(台本芝居も)台詞があるんですけれども、それが選択肢の一つでしかないと思えるようになれれば、即興(芝居)になっていくんだろうなって感じがしています。
昔は、僕大阪出身なんですけど、関西弁の役をやったときがあって。あまりやる機会がないんですよ。でも、すごい芝居しやすくて。
いつも「すぐ台詞忘れる、怖い怖い!」ってのがあったんですけど、全然思わなくて。忘れたら適当なこと言えばいいやって。それが先んじて、何言ってもいいやってところがあって、その時はめっちゃ自由な感じがして。それはめっちゃよかったですね。
佐 台本芝居で違う事いっちゃだめですよ〜。
窪 いや、意識的にそうなれたらなって話。選べる気がするってくらいの。このセリフを言うか言わないかじゃなくて、どの音でいうのか、どの速度で行くのかとか、選べるような気がしていて、そこにもあるんじゃないかな?と。
今 そういうことに反応してくれる役者さんだと面白いよね〜。この間別役さんの芝居をやらせていただいたんですけど、相手の方が、僕がちょっと変えると、反応してくれて。稽古もすごく楽しかった。
佐 逆に変わらない人だと悲しくなる。
多 舞台上でがっかりしているのを見るのもちょっと面白い。仕掛けた、投げた、あ、相手が変わらないや、じゃあ変わらなかったらどうするのかな?とかね。
絹 演出家としては、もしそういう状態だったら、どういう風に声がけしたりとかするんです?
多 ものとか、人にも寄ります。どうしても変わらないのを、片方がずっとけしかけているのをみてて、どうなるかを、結構僕は待つ方です。こちらに乗ってあげてくださいよ、とは、あまり言わないです。逆にあきらめちゃって。かえってくるのに乗せたほうがいいかな?という場合もあるんですよね。場面にもよりますけども、こちら側に理屈が深いモノになっている場合もあったりはしますよね。その結果、稽古を見ながら、じゃあもうちょっと自由になってみましょうか?っていうのになるか、最初のかっちりした、読み合わせの時に感じた感覚のままでいったほうがいいんじゃないですか?っていうのは比較的、待つようになりました。
絹 今まではどうだったんですか?
多 最初に芝居を始めた頃の方は、どちらかというと、待たない方でしたね。
観ている時間が長い時もあるんですけれども、最初はそのつもりはなくても、制御しようと思っちゃうんですよね。作品自体に責任があると思うからだと思うんですけど、要するに怖いんだと思うんですよ。自分の手の届かないところに転がっていって、良くいけばいいけど、うまくいかなかったときに、全責任を負うことになる。でも、「それはその時だよな」って思うようになったのは、30代の半ばくらいからじゃないですかね。
絹 経験することで変わっていったんでしょうか。
多 最初は、「自分の作品だ」ってみたいなところが。言わないですよ、言わないしそんなことを口に出したこともないし、「皆の作品です」なんてことも言ってるんだけど、どこかこわいですね、やっぱり。
絹 もし面白くなかったなら、責任を取らなくてはなりませんからねぇ〜。
多 でも大学で教えていて、学生のやっている芝居の全責任は負えないもん。絶対負えない。
絹 多和田さんは大人数の芝居を、大学で演出したりしていらっしゃる。
多 基本30人以上ですからね。オーディション70人くらいきて、30人。みたいなのありますから。そうなってくると、それでも良い作品作りっていうか、彼らが舞台に立っている間に、即興じゃないですけど、立っていることの気持ち良さというか、立っていることの責任、というのを感じてもらいながらやっていったほうが、面白かったりするんですよ。初舞台いっぱいいますからね。人生で初めて舞台立った子に会うわけです。そういうのがあって、自分が別の場所で実際にお芝居する時の感覚が変わったかなっていう気がします。
全部に回答する必要はない、要するに、作品に責任を負うっていうのは、一挙手一投足に、全部管理することじゃない。
絹 無理ですよね〜。
多 たまにそういう人もいますけどね、こう役者側から「ここはどういうことですか?」と聞いてきたら、「ここはこういうことだと思うんだけれども、あなたはどういう風に考えているんですか?」って、無理やり回答を求めようとする演出家もいる。全部持っていたい。
僕はどっちかっていうと、教えてくださった演出家の先生と認識は一緒だったんですけど、なるほどね!と思ったのは、分からないモノは分からないって言ったほうがいい。今やってくれたものによって生まれたものは、知ってるわけがないので。そうだね、そんなことやったらそうなるよね、それでしばらくやってみるか。今はわかんないねって回答する勇気。演出家に求められているのは、その即興性じゃないかな?
絹 なるほど!本当に演出家こそ、即興性が必要と。
多 今日、音楽を出してらっしゃったのは友梨さんですね。
絹 音響は私です
多 それは友梨さんの演出方針ですよね。
絹 そうですね。タイミングとしてここで音楽を流したい!みたいな。
多 乗っかる。音が上から乗っかってくるんですよ。
先に音があってやっていたら、それは一つの枠を設けていることだけれども、
こう役者たちが転がしていくんだったら、こう転がしていこうかなという発想。
これが大事なんじゃないかな?その方がやりやすいだろうし。
絹 もうぜひ、日本のたくさんの頭の固い演出家の方々に即興性を身につけてもらって、
創作過程で使っていただきたい。
多 友梨さんがパンフレットに書いてある人を知っているから(笑)。
(注:絹川が本番のパンフレットにある演出家の言動に疑問を持ったことが書かれていた)
その時の、友梨さんの険しい顔覚えているからね〜。
絹 喧嘩売りそうになったんですけど(苦笑)。
多 今ここで僕が発言すると、僕の身に危険が及ぶ。
2人 苦笑。
絹 ではそろそろ締めのお時間です。
皆さんに一言ずつ「即興とは」を伺いたいです。
禅問答みたいなのでいいんで。言った人から、舞台上から掃けていってください。
佐 即興とは40年後には日本のベーシックな演劇のジャンルのひとつとなっているでしょう。
多 解散しますか(笑)。未来の展望言われちゃったから。
今 即興とは、老後の楽しみです。
多 笑点みたい。
鈴 即興を、若い役者さんも、皆やりましょう!
これから、若い人たちに、即興の練習できる場をたくさん設けたいと思います。
よろしくお願いします。
窪 即興とは、まわりをよくみて、決めること
絹 経験からの言葉だね〜。
山 即興とは、今、目の前を感じて、出す。
(出演者全員が舞台上からはけた)
絹 今日は本当にありがとうございました。多分もっと聞きたいってお客様もいらっしゃるんじゃないかと思うんですが、今日はこれでお開きです。私はこうやって、お客さんを交えて、演劇人が話す時間を設けることをすごく大事だと思っています。けっこう演劇人だと飲み屋とかで、濃厚な議論は行われているんですが、なかなかそういう話を、他者に聞いてもらうことはありません。ただ演劇を見るだけじゃなくて、演劇について語り合うような時間があってもいいんじゃないかなって、やはり今日も思いました。
多 ただ、僕の中では、即興って言葉と台詞劇っていうのは、柔軟な演劇という枠組みの中で、もう少しアプローチの仕方があるんじゃないかな?って思います。ですから、ぜひ、続けて行っていただきたいです。
絹 ありがとうございます。そして、いつか、多和田さんが即興演劇の演出としてきていただきたい。
多 びっくりした!「出てくれ」って言われるのかと。
絹 ははは〜、それもいいですねえ〜(笑い)。ちょっと今、考えているアイデアがあります。
演出家さんを4~5人呼んで、それぞれに即興を演出してもらうっていうのも
面白いんじゃないかなぁ〜って。
多 またちょっと違うから面白いですよね。作・演出・出演をやっている方と、戯曲の解釈者として存在している演出家とではまた違って面白い。
絹 また企画をしますので、またいらしてください。
本日のゲストは、多和田真太良さんでした、ありがとうございました。
写真撮影:日下愉(K's studio)