【History of Impro】インプロの歴史


インプロとは、日本語では"即興"といわれ、Improvisation=インプロヴィゼーションを短くしたものです。あらゆる芸術分野―音楽(ジャズ)・ダンス(モダンダンス)・映画・演劇―の世界での、創作・表現手段のひとつです。 インプロ演劇では、打ち合わせや台本はありません。仲間と協力しながら、自分を最大限に使って、何が起こるか分からない"瞬間"を生き、筋道の通ったストーリーを創造していきます。

コメディアのマスクたち
コメディアのマスクたち

さて演劇分野で、インプロが発生した歴史はとても古く、古代にさかのぼります。まずギリシャやインドで「クラウン」という道化によって、宗教的な演劇が行われていました。やがてインプロ演劇は大衆のものとなり、16世紀ごろイタリアで流行した、"コメディア・デラルテ"(Commedia dell'arte)"、コメディア・アル・インプロヴィッソ"(commedia all'improvviso)は、300年もの間、ヨーロッパ各地で盛んに行われ、シェークスピア(William Shakespeare)、モリエール(Moliere)などの劇作家たちにも大きな影響を与えました。

 

20世紀に入ってからインプロは世界中に広まり、スタニスラフスキー(Constantin Stanislavski)、メイエルホリド(Vsevolod Meyerhold)、フランスのコポー(Jacques Copeau)、その弟子のルコック(Jacques Lecoq) がトレーニングとして使ったり、チェーホフ(Anton Chekhov)、グロトフスキー(Jerzy Grotowski)、ダリオ・フォー(Dario Fo)、ベケット(Samuel Beckett)などたくさんの演出家・作家が、インプロの影響を受けて作品を発表していくことによって、インプロは現代的に改良されていきました。

ヴィオラ・スポーリン
ヴィオラ・スポーリン

そのころのアメリカでは、教育者・社会学者であるネバ・ボイド(Neva L. Boyd)によって、精神的・社会的に問題のある人々対して、インプロが用いられていました。そのゲームたちは、自己発見やコミュニケーション能力の開発として使われており、社会学、生理学、心理学の理論の基づいた、すばらしいものでした。この理論を、1980年代にイギリスではクライブ・パーカー(Clive Barker =「シアター・ゲーム」著者)が、アメリカではヴィオラ・スポーリン(Viola Spolin =「Improvisation for the Theatre」著者)が、「シアター・ゲーム」という名前で、演劇人向けの"カリキュラム"として紹介してから、インプロは、社会学、生理学、心理学の理論を内包して、さらに深く発展していったのです。

 

さてこの理論を実践し、ショービジネスに進出していったのが、ポール・シールズ(Paul Sills・スポーリンの息子)やデル・クローズ(Del Close)たちでした。彼らは「セカンド・シティ」(Second City, Chicago)の前身になる「コンパス・シアター」(The Compass)を創り、シカゴとセントルイスを発信地として活動を始め、そこからは、たくさんの俳優、コメディアン、作家、演出家が有名になっていきました。特に"サタデー・ナイト・ライブ"などの人気TV番組や映画に、インプロを学んだ俳優たち~ジョン・ベルーシ(John Belushi)、マイク・マイヤーズ(Mike Myers)、ロビン・ウイリアムズ(Robin Williams)などーが出演するようになると、インプロの認知度は高まり、そのテクニックは、俳優やエンターティナーには必要不可欠なものとなったのです。

 

イギリスでは、1960~70年代に、ロンドンのロイヤル・コート・シアターの演出家・作家・インプロヴィゼーション講師であったキース・ジョンストン(Keith Johnstone)が、「シアター・マシーン」(THEATRE MACHINE)というカンパニーで、インプロを舞台演劇として見せる試みを始めていました。カナダに移ったジョンストンは、「ルースムース・シアターカンパニー」(The Loose Moose Theatre Company)で、さまざまなショーのスタイルを確立していきます。また、当時RADA(王立演劇芸術学校)の演出家であったマイク・リー(Mike Leigh)は、ジョンストンと同じようにインプロを使った演劇を試みており、その後、全く台本を使わないことで評判になった、映画"秘密と嘘"を監督し、1996年カンヌ・パームドール賞を受賞しました。これによって、即興性のある、活き活きした演技が再評価されたのです。

さて現在のエンターテイメントとしてのインプロは、新しい表現形体として世界中の観客に受け入れられ、ますます多様化しています。キース・ジョンストンの考案した「ライフ・ゲーム」はニューヨークのオフ・ブロードウェイで上演されました。そして2006年6月には、インターナショナル・シアタースポーツ大会がドイツで行われました。ここには、インプロ・ワークス代表・絹川友梨はじめとした日本人3人がチームをつくり、日本代表として出演しました。

またインプロは海外の俳優にとって、必要不可欠なテクニックのひとつです。演劇学校では必ずといっていいほど、インプロヴィゼーションのクラスがありますし、授業の中で「即興的に演じること」は頻繁に行われています。またワークショップは、カナダ・オーストラリア・ヨーロッパ諸国・アメリカで盛んに行われ、演劇界では大事な位置にあります。

 

 

インプロの将来はどうなるのでしょうか。エンターテイメントとしてのインプロは、他演劇に比べると歴史は浅く、ポピュラリティはあるものの、一流芸術としての位置を獲得するのはこれからの課題となるでしょう。
教育におけるインプロの位置づけはますます高くなると予想されています。それはインプロの歴史を見ていただけるとお分かりのとおり、インプロはその長い歴史の中で、社会学・心理学・精神学・芸術の分野を経て開発されていますので、実際的、健康的、具体的なメソッドであるからです。どんな分野の人々でも参加でき、応用できる深いトレーニング方法を持っています。また楽しみながら、発想力を豊かにし、チーム・ビルディング、コミュニケーション・スキル、プレゼンテーション能力、問題解決能力などアップをさせることから、俳優のためだけではなく、学校教育や、ビジネスの分野にもたくさん応用されています。アプライド・インプロヴィゼーション・ネットワークは、インプロをビジネス分野に活かし、研修などを行っているメンバーの集まりです。

(日本人では2006年に絹川友梨が最初のメンバーとなりました)。

このように、これからも、広い分野で「インプロ」は、人を活かすツールとして活躍することでしょう。

 

(引用文献)
Frost, Anthony and Yarrow, Ralph. Improvisation in Drama, St. Martin's Press, 1989
Matthews, Steve, Getting into the act-Communication through drama-, 1988