自分の言動の不可解さ。ハッピーになるのは、なかなか簡単ではないんだなと。自ら不幸を選ぶこともあるんだなと。
わたしの不幸の始まりは、
「インプロ」を所有している意識がまだあることだと思う。
最初に即興演劇が日本に上陸したとき、わたしの周囲では、それは「シアタースポーツ」と呼ばれていた。その時には「インプロ」という言葉すらなかった。
それを日本に紹介しようと思い立って、演劇業界の全国的な見本市である「見本市」に出展することにした。1995年ぐらいだと思う。その時のメンバーは、確か、絹川、かおる、小牧だったように記憶している。それ以外にも何人かが関わってくれてはいたと思うが。
私たちの活動を説明するためのパンフレットを作る過程で、将来どんな風になるといいか、私たちは何を大事にしているのかなどの点に関して、たくさん考えたし話し合った。
UPS主催の「シアタースポーツ」で一度は多いに盛り上がったメンバーの気持ちは、その頃はすっかり分裂していて、誰も主体的に動こうとはしていなかったと思う。メンバーの中に、日本の演劇界に関わって活動している人はとても少なかったし。「誰もやらないなら、わたしがやる!」と特定の人たちに宣言したことを覚えている。
私の自宅でパンフレット作成の作業をする中で、「インプロ」という言葉を使おうということを決めた。それまで「即興」という言葉はあったが、「インプロ」という言葉は、少なくとも私の周囲では誰も使っていなかった。
その後、インプロを広めたいがために、いろいろな活動をした。本当はキースの「IMPRO]」を翻訳して紹介したかったが、プレゼンした多くの出版社は「インプロなんて誰も知らないから、出版しても売れない」と言われた。そこで入門書になりうる本を自分で書いた。それが「インプロ・ゲーム」だった。
こんなスタートだったので、わたしはどうしても、「自分がインプロという言葉を作り、インプロを紹介した」という意識が強い。すでに「インプロ」は一人歩きしていることも、頭では理解しているにも関わらず。
フェイスブックでインプロの活動を見る。
知人と会ったときに、インプロの話になる。
そういう時に「嬉しい」と感じるときもあるが、「なにそれ?」とがっかりすることもある。
理由はだいたい2つ。
1)自分が思っている「インプロ」と違うことを、他者に伝えている(ワークショップをやっている)のを知ったとき。
2)インプロをわかっていない(経験が少ないだろう)と思われる人が、「インプロとはこれだ」と、他者に伝えているということを知ったとき。
わたしの主観的な不満は、つまりインプロを知らない人たちに対して、間違った内容を伝えて欲しくないという気持ち。その気持ちが強いために、そういう活動をしている人たちに対して、その活動をやめてほしいと言いたくなってしまうのだ。人に対して憎悪はない。しかし活動に対して憎悪を感じる。ひどく不愉快になる。変わってほしい。勉強してほしい。
しかしこの理由には、ツッコミどころが満載だ。
- 自分が思っている「インプロ」って何ですか?
- それじゃあ、あなたが思っている「インプロ」が正しいんですか?
- なぜ彼らが「間違っている」と言い切れるのですか?
- なぜ経験が少ない人間が伝えてはいけないのですか?
- どこまで経験すれば伝えていいのですか?
- そもそも、そんなことを断言する権利が、あなたのどこにあるんですか?
たぶん、そう思っている方々もいらっしゃるだろうと思う。
きっとたくさんのインプロをやっている人が、わたしから遠ざかっているに違いない。「あーユリさん、またあんなこと言ってるわ〜」って。わたしの愚痴は、わたしとインプロをやっている人を分断しているかもしれない。(でも逆に、わたしを抜くことで、インプロの人たちが繋がっていくならば、それはそれでいいことだけど〜)
また「絹川さん頭悪いな〜」って思っている数人の顔も浮かぶ。
こういう気持ちに渦巻かれているとき、優等生な言葉がわたしを諭す。
「人の悪口は言っちゃいけません。」
「言いたくなったら、3秒待って、飲みこみましょう。」
確かにそうかもしれない。
良いことだけ言葉にしていく。
ハッピーハッピーなことだけで世界を囲む。
でも自分のドロドロした内面を吐露できることも、嫌われるようなことを言うことも、また勇気のいることだったりするのだ。
(絶対に叩かれるし嫌われるしね〜苦笑)
でもね、、
不満を公共にぶちまけても、きっと自分はハッピーにならないんだな〜。
なぜなら、ぶちまけ作戦では問題は改善されないから。
問題を解決したくて、嫌われるような発言をしているのだけれど、きっとこの方法では改善されないのだな〜。。。
そしてこのぶちまけ&人に嫌われる行動は、自分の子供をないがしろにされたときに感情的に怒る親の行動ととても似ていて、あまりに感情的なのです。
さて。
解決策を考えよう!
そのためには「インプロ」と距離を取ることが大事なのかな。
なぜなら物事を「所有」すると(所有していると思うと)、そこから不幸が始まるから。
親の不幸は、子供を所有物だと考えてしまうところ。
わたしも同じです。
よく考えれば、あつかましい/思い上がった考え方であります。
「インプロは自分のものだ。自分が一番知っている。大事なものだ」と考えるのは。
沈黙。
反芻。
咀嚼。
消化。
そして。。
わたしがこうやって感情をぶつける嫌われ愚痴大会になるのは、たいがい自分が「ヒマ」な時。つまりわたしゃ「ヒマ人」なんですな。だからこういう無駄なことをしてしまうんですな。
!!!!!
自分が自分らしく活動できているときは、こういう生産性のない行動はしないですもの。他者の行動を見て、感情に振り回されることもないし。だから、私はいまヒマなんですな。きっと。
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さて、このブログを書いている間に、とても面白いニュースを発見しました。
明和電機というアートグループが開発した製品がパクられた話です。
自分たちが作った製品をパクられることだけで感情的になりそうなものなのに、そこで止まらず、パクられ製品をちゃんと吟味して(ぜんぶ買い占めたと!)、そこから反逆作戦を開始したと!
素晴らしい。
もし感情的に悔しいことや苦しいことがあったら、そこから顔を背けずに、ちゃんと吟味して、次の行動をとる。
こういう姿勢がとても大事なのかな。
私の場合は、問題から顔を背けることはしないけれど、問題を吟味することはあまりできていないから。
もしかしたら敵の懐に入ったほうがむしろいいのかもしれないなー。ちょっと時間の無駄かもしれないけれど。
いずれにしても、自分が悔しい不愉快になったときに、明和電機さんみたいな対応ができたらいいなぁ〜。
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すみません、頭悪い思考で。
(絹川さん、頭悪いな〜って思っている、あなたへ)
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