女卑社会を生き延びる変態。ただし進歩ではない。

上記の映像。「女の子っぽく走ってみて」と言われて、女性たちは(いわゆる)「女の子走り」をする。つまり「女の子っぽい」というステレオタイプがあるのだ。女性は社会的圧力によって、「女の子っぽい」を身につける。それと同じ質問に対して、子ども(女の子)たちがおこなった行動はかなり違っていた。力強く、りりしい。


海外で活動していると、自分が「可愛い」を身につけてしまっていることに気がつかされる。私の振る舞いは、他国の女性たちに比べて、圧倒的に「子どもっぽい」(苦笑)。言いたいことは言わず、主張せず、いつもニコニコして、相づちをうって、小動物のように「可愛く」振る舞う。

 

もちろん、海外の女性の振る舞いがいいとか、日本人は悪いとかそういうレベルの話しではないのだけれど、海外にいると「女性がちゃんと発言して主張してもいいんだなぁ〜」と思う。考えてみれば、当たり前のことだ。しかし、わたしは海外女性のような振る舞いをすることは、理解できても、必要だと思っていても、なかなか実行することはできない。恐ろしいことに、この振る舞いは、わたしに染み付いているのだ。

 

現地の日本レストランのウエイトレスは「可愛い」が売り物。必要以上に「可愛さ」をアピールする。ステレオタイプを堂々と演じる。逆に「これが日本です!」と誇りを持っているかのようにも見える。自分を見ているようで鼻につく。

 

日本にいると気がつかないが、日本人女性は「可愛い」を自然に身につけて変態している。幼児のような顔つきで「こび」をうるポーズの数々。(なぜかおっぱいだけは異常に大きく)それはおそらく日本社会で生き抜くためだ。っていうか、日本男性社会を生き抜くためだ。スーパー男尊女卑社会日本。女性たちは、自然に「可愛さ」という武器を見につけ、男尊女卑のオヤジたちから金を搾り取る作法を身につけた。

 

「でも、それでいいのかな?」という疑問を、この映像は投げかける。

 

もっと自分らしく生きる姿があっていいんじゃないかな?

 

日本でも、よき状態(すべての人間が自分らしく尊重される社会)に変えようとしている人達はいる。

 

しかし皮肉なことに、「変えよう」としなくても、社会によって「変わっていく」人達がいて、それは立場の弱い人間たち(女性や子ども)。

 

「変えよう」としてなくても、自然に「変わっていく」。

 

これは進化だ。

 

ただし。

 

これは「進歩」ではない。